ウィル・アイアトンが、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手の通訳を務めることは、多くの野球ファンにとって興味深いニュースとなっています。
そういえば前田健太選手の通訳だったけど、どんな経歴なんだろ?
ウィル・アイアトンはどんな人物なのか、吉本にも所属していた過去がある彼のwiki風プロフィールに学歴や経歴を詳しく紹介していきます。
ウィル・アイアトンが注目される理由は、その通訳能力だけにあらず。彼の人柄、特にチーム内で愛されるキャラクターとしての側面が大きく関係しているようです。
ウィル・アイアトンのwikiプロフィール
この人がウィル アイアトン代理通訳者です。15歳まで東京で暮らし、日本語は堪能だそう。 pic.twitter.com/Y5wvZ29Km3
— Showy💙17@ゆうりん (@yuuriM2021) March 21, 2024
大谷翔平選手の通訳となったウィル・アイアトンのプロフィールをwiki風に紹介します。
- 名前:ウィル・アイアトン(Will Ireton)
- 生年月日:1988年12月21日
- 年齢:35歳
- 出身地:東京都
- 国籍:フィリピン
- 所属:ドジャース
ウィル・アイアトンは日系アメリカ人の父とフィリピン人の母のもと東京で生まれ、幼少期から15歳までを日本で過ごしました。
その後、野球と学業の両立を目指してアメリカへ渡り、ハワイのミッドパシフィック高校に進学。高い野球の実力と学業成績を持つ彼は、カリフォルニア州のメンロー大学でさらに学びを深めました。
そして現在はドジャース編成部でパフォーマンス・オペレーション・マネージャーとしてデータ分析をしながら選手の能力開発をサポートしています。
後述しますが、ウィル・アイアトンの学歴経歴は、日本とアメリカの教育システムの両方を経験し、文武両道を体現しています。
ウィル・アイアトンの学歴
ウィル・アイアトンの学歴は、彼の多才な面を象徴しています。
文武両道で知られるウィル・アイアトンの詳しい学歴を見ていきましょう。
東京のインターナショナルスクール
15歳まで日本で過ごしたウィル・アイアトンは、東京のインターナショナルスクールに通っていました。
ここでの多文化的環境は、彼にグローバルな視野を与え、多様な文化に触れる機会を提供しました。この段階で、彼は将来的にアメリカでの高等教育を目指す土台を築きました。
当時からアメリカで野球をしたいと思っていたようです。
ハワイのミッド・パシフィック高校
15歳でアメリカに渡ったウィル・アイアトンは、ハワイ州の名門ミッド・パシフィック高校に進学します。
ミッド・パシフィック高校は、ハワイの高校の中でも教育の質の高さとスポーツ、特に野球への強いコミットメントで知られています。
ウィルは高校で野球と学業の両立を実現し、アメリカ本土で野球をする夢を持ちながら大学進学のための重要なステップを踏み出しました。
高校時代はピッチャーやサードとしてレギュラーだったみたい!
カリフォルニア州のメンロー大学
高校卒業後、ウィル・アイアトンはカリフォルニア州にあるメンロー大学に入学し、国際ビジネスを専攻します。
この大学での学びは、彼にビジネスの基礎知識をもたらし、グローバルなビジネス環境で活躍するためのスキルを身につけさせました。ウィルは、卓越した学業成績を収め、複数のアカデミック賞を受賞しました。
また、夏休みにはアメリカ本土でのサマー・ベースボール・リーグに参加し夢を追いかけながらも、学業を疎かにすると父親に日本に連れ戻すと言われていたため努力し続けていました。
2011年4月:トップ・アカデミック・アスリート賞受賞
(大学3年次のスポーツ部の中で最も成績が高い学生に渡される)
2012年4月:コリス・スチーア賞受賞
(大学全スポーツ部の中で最も成績が高い学生に渡される)
ウィル・アイアトンの学業成績は、彼が野球の分野だけでなく、アカデミックな領域でも卓越した才能を持っていることを証明しています。
メンロー大学でのトップ・アカデミック・アスリート賞の受賞は、彼が文武両道で優秀な成績を収めたことを示しており、彼の将来のキャリアにおいて重要な基盤となりました。
そして、2012年5月メンロー大学卒業生の中で最優秀賞を受賞しました。
オクシデンタル大学への在学
また、ウィル・アイアトンはメンロー大学の学業を進めながら、オクシデンタル大学にも在籍していました。
アメリカ元大統領バラク・オバマも学んだことで知られる名門校でさらに学びを深め、スポーツと学問の両方で卓越した成績を残しました。
この経験は、彼の教育の幅を広げ、後のキャリアに大きな影響を与えました。
ウィル・アイアトンの経歴
大学卒業後のウィル・アイアトンの経歴は、野球選手から始まります。
彼はWBCフィリピン代表としてもプレーし、その後はマイナーリーグで選手経験を積みました。
野球選手としてのキャリアを経て、ライター、通訳、データコーチなど様々な職種で活躍。現在は、ドジャースでのパフォーマンス・オペレーション・マネージャーとして選手の能力開発をサポートしています。
多岐にわたる分野での経験を経て活躍しているウィル・アイアトンの経歴を詳しく見ていきます。
マイナーリーグ選手としてのスタート
ウィル・アイアトンの野球キャリアはWBCフィリピン代表から始まります。
2012年12月、IBAF2012年「アジア・カップ フィリピン代表」として出場後、WBCフィリピン代表として台湾、ニュージーランドなどが出場した本大会の予選で活躍していました。
フィリピン代表はボロ負けだったけど、国を背負って出場しているなんてすごいですね!
その後、2013年2月にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び9月までの1年間活躍していました。
ニューヨーク・ヤンキースでの通訳業務
ウィル・アイアトンは野球選手を引退後の2014年、ニューヨーク・タイムスで通訳アシスタントとして仕事をしています。
当時は田中将大選手がニューヨーク・ヤンキースに入団する時期で、ニューヨーク・タイムスで田中選手を紹介するための記事を高校のコーチや監督にインタビューし執筆していました。
この記事がきっかけとなり、ニューヨーク・ヤンキーススタッフとして田中選手の通訳を務めました。この経験は、ウィルにとって通訳としてのキャリアの始まりを意味していました。
よしもとクリエイティブ・エージェンシーでの活動
2015年、ウィル・アイアトンは株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)に入社しスポーツマネジメントに携わっています。
なんで吉本に入社したんだろ?
ウィル・アイアトンはただ英語ができるだけでなく、野球の文化を体感しているということが吉本所属のメジャーリーガーやスポーツ選手のマネジメントにおいて重要になっているようです。
ウィルのフィルターを通すことで日本人プレーヤーの思いをきちんと伝えられるということが起用のきっかけとなっているようです。
同年WBCフィリピンチームのゼネラルマネージャーに就任しました。この時期は、スポーツマネジメントにおける彼の能力が認められた時期です。
ロサンゼルス・ドジャースでの多岐にわたる役割
ウィル・アイアトンは2016年以降ドジャースに所属し、前田健太選手の専属通訳を3年間務めます。
彼は明るく陽気なキャラクターで知られています。前田健太選手の通訳を務めていた時から、彼の社交性とチームメイトを常に盛り上げる性格が注目されていました。
彼のポジティブなエネルギーは、チームにとって不可欠な存在であり、特に長いシーズンを通じてチームメイトの士気を高めるのに一役買っています。ウィル・アイアトンはただの通訳を超えた価値をチームにもたらしているのです。
そして、2018年にドジャースのAAA傘下チームの育成コーチ、2019年にはマイナーリーグのデータコーチに就任しました。
データ分析やビデオコーディネーターを学び選手たちをサポートし、彼が野球の異なる側面で経験を積んだ重要な時期でした。
データ分析のスペシャリストとしての活躍
2020年、ウィル・アイアトンのこれまでの実績が認められ、ドジャース編成部においてパフォーマンスオペレーションマネージャーとしての役割を担い、2022年には主任に昇進しました。
彼の現在の役割は、データ分析を駆使して選手能力開発をサポートすることです。このキャリアの転身は、彼がスポーツ科学とデータ分析の分野で重要な貢献をしていることを示しています。
そして、現在は大谷翔平選手の通訳だった水原一平さんが解雇されたことで、臨時通訳として大谷選手をサポートしています。
まとめ
ウィル・アイアトンのプロフェッショナルキャリアは、WBCフィリピン代表選手としてのプレーをはじめ、テキサス・レンジャーズとのマイナーリーグ契約、吉本興業への入社、そして前田健太選手の専属通訳を務めたことなど、野球選手としてだけでなく、通訳やデータ分析の専門家としても活躍してきました。
現在はドジャースの編成部でパフォーマンス・オペレーション・マネージャーとして選手の能力開発をサポートし、大谷翔平選手の通訳も務めています。
ウィル・アイアトンの学歴や経歴は、彼が持つ多文化的バックグラウンドと野球への深い愛情、さらには学問への取り組みが見事に融合した結果です。
今後は異文化間での架け橋として、また野球界で多方面にわたって影響を与えることができる人物といえるでしょう。
この記事がウィル・アイアトンという人物をより深く知るきっかけになれば幸いです。彼のこれからの活動に目が離せません。